アイカツフレンズ! 1 年目(1-50 話) 感想

先日無事 1 年目の最終回を迎えた『アイカツフレンズ!』。
一話ごとに感想を残していくというのは自分でも初めての経験(リアルタイムで書いたのは 10 話位だけど)で、かなり印象に残った作品なので、 1 年目のまとめみたいな感想を書いておきたいと思います。
なお作品そのものが最終回を迎えたようなテンションで書いてますが、あくまで 1 年目(1-50 話)の話なのであしからず(一回一回 1-50 話と入れるのが面倒だった)。

50 話 PP

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

このブログにも散々書いてきたが、『フレンズ!』は「フレンズ」の物語である。
作品の「いいたかったこと」は様々あるだろうが、テーマとして掲げてきたのは一貫して「フレンズ」という関係性の定義付けだったように感じる。2 人の少女が出会い、意気投合し、手をつなぎ、すれ違い、ぶつかり合い、高め合う。そんな事を一生懸命・徹底的に描いてきたのが『フレンズ!』だったんだと思う。

『フレンズ!』における一つの特徴として、クールごとの役割がはっきりしてるということがある。

1 話 あいねとみお

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

第 1 クール(1-12 話)はあいねちゃんとみおちゃんが PP を結成するまでの、"出会い" の物語だ。これは 2 人の出会いだけに留まらず、HC や LMT との出会いでもある。或いはド素人のルーキーアイドルあいねちゃんの目を通して、『フレンズ!』の世界へ視聴者を誘導する役割もあるか。とまれ、2 人の主人公が出会い、交流し、時には舞花・エマの話を鏡にしながら感情を高めていって、『Pure Palette』という地点に到着する、そういうクールであった。この感情の高まりを描くために、恋愛の文法を拝借していたのはいうまでもない。

25 話 みお アイカツゾーン

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

第 2 クール(13-25 話)は、まぁ最も "普通" というか、起承転結の "承" をきちんとやりきった感じのクールだ。フレンズとなった PP について、彼女達の絆が深まる様子や、アイドルとしての実力を上げていく姿など、その足取りを丁寧に追っていた。1 クールの中でも「スターハーモニーカップ(SHC)」という山場を用意したり、HC のエピソードをサブラインで展開していたり、白百合姉妹の顔見せをしたりと、物語の下地をしっかりと作ってた印象だ。その終わりに「アイカツゾーン」をぶっこんでくるのもまた、 "転" に続く "承" のクールという感じか。

28 話 あいねとみお

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

そして第 3 クール(26-38 話)。先の 1・2 クール目で作り上げた世界を元に、お話を本格的に進めていくクール。「ブリリアントフレンズカップ(BrFC)」と「ベストフレンズカップ(BeFC)」という 2 つの "勝負所" を用意する一方で "主人公フレンズの活動休止" という切れ味鋭いエピソードも展開していく。RM が本格参戦してくるのもこの頃なのだが、同時に PP があんなことになってるので、HC が割を食らう(メインエピの減少)のは仕方ないか。それでも完全に消えない様に要所要所で役割を与え、最大限の配慮をしていたように思う。……とはいえやっぱ BeFC 後の担当回持ち回り時期に一話欲しかった感が否めない。私が HC 好きすぎるからか。

42 話 PP ビッグバン
45 話 あいねちゃん
©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

勝負の第 4 クール(39-50 話)は、これまた攻めた構成で。作品全体のピークである「ダイヤモンドフレンズカップ(DFC)」を前半に持ってきて、後半はまるまる「その後」の描写に費やすという形。クリスマス回辺りからそんな雰囲気は醸し出していたが、まさかまんまぶち込んでくるとはなぁ……。とはいえ、「その後」描写はとても丁寧に行われて、2 年目をバリバリに意識しながらその接合点を限りなく滑らかにしようという意図が感じられた。個人的にはかなり好きなエピソード群でした(47 話のオチ除く)。とはいえとはいえ、これらの話が本当に活きてくるかどうかは接合した "その先" にあると思うので、2 年目次第とも言えるお話である。この辺で描いたことを無駄にせず、更に発展していくような作品だと嬉しいなぁ。

一年間の構成がきっちりしているということは、それだけ物語に連続性があり、スルスルと受け取りやすいということだ。一方で『フレンズ!』のそれは余りに無駄がなく、やや "遊び" のない話でもあったように感じる。事実、本筋と全く関係ないといえる話は 38 話くらいなもので、なんもないドラマ回みたいなのもなかった(とはいえ何の成長も気付きも振り返りもないドラマ回を連発されても困るわけだが。塩梅が難しい)。後は 37・43・44 話も緩いエピソードだったが、個人的にはそれなりの意味がある回に思えた。結局の所、この "遊び" のなさこそが「無難」や「普通」と言われる所以かな、と思ったりもする。『アイカツ!』の様にトンチキ全振りになることは少なく、『スターズ!』の様にどん底に突き落とすような展開もなかったので、そういう刺激を求めてた層には響かなそうな作風ではある。
んじゃ私はどうだったのかって話だが、個人的にはこの連続性がとても気持ちよく、普通に楽しめた。エピソード同士・描写同士の齟齬や摩擦が少ないってのは、視聴していく上でストレスを感じにくくていい。この連続性を生み出しているのは、当然ながら上述した淀みない展開なのだけど、じゃあなぜそんな展開を作り得たのかといえば、やっぱり「テーマ」がしっかりしていたからだろうと思う。
「フレンズ」というテーマがまずどーんとでっかく真ん中に据えられ、その両隣に『友希あいね』と『湊みお』という主人公を配置し、そして LMT や HC、RM といったアイドルたち、たまきさん・千春さん・ケンさんといった大人達、いろはちゃんやひまりちゃん、友希家や八百八のお姉さん等々といったキャラクターをキャスティングしていって物語を作ってたのかな、という印象だ。それくらい "「フレンズ」を描く" という意志が各エピソード(とその接合点)からひしひしと感じられた。

そうすると次は、"結局「フレンズ」ってなんやねん" という話だ。友人で、親友で、恋人で、仲間で、パートナーで、ライバルで、先輩後輩で、仲間で、ファンで……。"2 人" を描くならその関係性は様々に展開できるけども、『フレンズ!』はそれらの中から一つを選択することはせず、そのどれにも当てはまるような位置に「フレンズ」を置いた。時に支え合い、時にぶつかり合って、時にすれ違って、向かい合って、戦って、分かち合う手をつないで……。そんな曖昧な関係性、微妙で絶妙な距離に「フレンズ」という単語を設定した。そんな曖昧な概念でいいのかよ って話だが、いいんだろう。曖昧で難しい関係性だからこそ 50 話かけて描く必要があったのだ。そしてそれは、『シリーズ』が今まで描こうとして描けなかった / 描いたけど最後まで描ききれなかったもののように(個人的には)感じた。いちごとあおいで、いちごとセイラで、ゆめとローラで描けなかった / 描ききれなかったものだ(或いはいちごと美月で、も含まれるかも)。今まで描けなかった / 描ききれなかったのは当然で、それは主人公が一人だったからだ。(何から何まで特殊すぎるあかりちゃんは置いといて)『アイカツ!(1st-2nd)』や『スターズ!』は星宮いちご・虹野ゆめの物語であり、"2 人" の話はあくまでメイン軸の構成要素の一つであったからだ。『フレンズ!』が "2 人" の話そのものを中心に据えて、主人公を 2 人立てたのは、やっぱりどうしてもここ(=「フレンズ」という言葉で表される関係性)を描きたかったからじゃないだろうか。

劇場版 ゆめとローラ

©2016 BNP/BANDAI, AIKATSU STARS THE MOVIE

そうすると、『フレンズ!』のプロトタイプが『劇場版アイカツスターズ!』だというのもわかる気がする。『フレンズ!』も『劇場版スターズ!』もどちらもロマンス的な描かれ方をしていて、大きなお友達はすぐそれに食いついてしまうけども。やっぱり作中で描かれていたのは恋愛関係ではなく、「フレンズ」や「ふたりなら最強」という関係性だったと思う。

42 話 PP

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

その終着点である『フレンズ!』42 話のこれなんかは、ロマンスの文脈を逸したものだと思うし。

んで。この前提の上で物語を展開していくと考えると、やっぱり重要になってくるのはみおちゃんじゃないだろうか、と思う。W 主人公における "主人公の 1 人" と普通の作品における "もう 1 人の主人公" って、やっぱり求められる役割が違うと思うからだ。"もう 1 人の主人公" は、身も蓋もない言い方をすれば「主人公以外で一番物語に近いキャラ」でしかない。あくまでその役割が成り立つのは主人公ありきだろう。

50 話 みおちゃん

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

それに対して "W 主人公の 1 人" というのは、何をどうしたって「主人公」なのだ。物語を背負う義務があり、物語を紡ぐ権利のあるキャラクターなのだ。みおちゃんは決して "「友希あいねの物語」の為のキャラクター" ではなく、「湊みおの物語」を語ることを許された(語らなければならない)キャラクターなのだ。そして『アイカツフレンズ!』という作品が、「湊みおの物語」と「友希あいねの物語」の 2 つがあって初めて成り立つ作品であることは言うまでもないだろう。 
アイカツ!シリーズ』において「少女の成長」が最重要ファクターであることに異論はないと思う。そういう目で観ると、どうしてもあいねちゃんの「アイドルとしての成長」に注目してしまいがちだ。キュートタイプでド素人の子が友達の力を借りながら頂点へと登りつめる様は、由緒正しいシンデレラストーリーだろう。一方のみおちゃんは、作品開始時点で自ブランド所持のトップアイドルで、アイドルとしての成長はどうしても分かりづらい。じゃあみおちゃんが一切成長してないかっていうとそうではなく、少しずつ自分に正直になったり、気持ちを伝えられるようになったり、そういった精神面(或いは人間性)の成長を彼女は担当していた。「一緒に学校に行きたい」ということすら中々伝えられなかった彼女が、最終的にはファンの前で不安から涙を流したり、あいねちゃんに面と向かって「フレンズにしてくれてありがとう」と伝えられるようにまでなった。『フレンズ!』における「湊みおの物語」とは、そういった成長を含んだ物語なのだ。
(ともすればあいねちゃんより主人公っぽい)

12 話 みおとあいね
16 話 みおとあいね
12 話 友希家
43 話 湊家
©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

今までブログにも何回か書いてきたが、みおちゃんのこの一年の物語は「青春の再獲得」といった感じだろう。生来の真面目さと直感を武器に、中学 1 年のうちからトップアイドルへの道を最短距離でかけがってきたみおちゃん。しかしその道程で切り捨てた / 置き去りにしたものは大量にあった(友達とのお泊り、家族での団欒 etc)。そういったモノをあいねちゃんと一緒に経験していくことによって取り戻していく、「湊みおの物語」にはそういう軸があったように思う。その終着点として 50 話があるとすると、とても感慨深い。

話を変えて、『フレンズ!』における「勝負論」についても触れておこうと思う。
アイカツ!シリーズ』は「アイドル」を描いた作品で、そこには市場経済が支配する芸能界があって、その中には競争というものが存在する。『シリーズ』では(彼の名曲『ヒラリ / ヒトリ / キラリ』が謳(歌)った様に)それに真正面から立ち向かい、勝負事の厳しさや冷酷な面を描き、またその尊さを説いてきた。一方で "勝ち負けが全てではない" ということもまた真実であり、当然ながらそこにも触れてきた。こういった "勝ち負け" や "勝ち負けを超えたところにある価値観" に対するアプローチは、『フレンズ!』と『アイカツ!』『スターズ!』で異なるように感じた。

48 話 ローラ

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

アイカツ!』や『スターズ!』は "勝ち負け" に関する描写を重要視してたように思う。勝負について嘘偽りなく誠実に描くからこそ、そこから滲み出る価値観というものを感じさせる、そういう作風だったように思う。桜庭ローラというアイドルの存在そのものが最もわかりやすい例だろうか。それ以外にもあんなシーンやこんなシーンで "勝ち負けを超えた価値観" が描かれていて、それらの尊さは "勝ち負けの厳しさ" が担保していたように思える。

じゃあ『フレンズ!』はどうだったかっていうと、(個人的には)逆説的に描いていたように思える。即ち、"勝ち負けを超えた価値観" の大切さを作中でガンガン説いて、だからこそその前提の "勝ち負け" にも意味がある、というような描き方だ。『フレンズ!』界の『神崎美月』であるカレンさんの存在がそうさせているのだろうか。最初のメインエピソードである 13 話からずっと言い続けてきたことだしなぁ。 

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また「トモダチカラ」の概念もその一種のように思う。トモダチカラの描写は、ともすれば「自分(達)の本来の実力ではない」という結果になりかねない。かといってそれ(= 友達の応援を力に替えること)が悪いことであるはずもないので、であるなら確実に "勝ち負け" とはレイヤーを異にした価値観ということなのだろう。その最たる例が DFC での vs HC や vs LMT だ。HC は "敵に塩" を喜んで送った。なぜなら 2 人はライバルであると当時に仲間であったから。LMT は直接なにかしたというわけではないが、その圧倒的なパフォーマンスで以て PP が伝説を作る為の足場となってみせた。これらの描写も唐突に出てきたものではなく、一年間ずっと "友希あいね" というキャラクターに真摯に向き合ってきた結果であることは言うまでもない。 

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となるとやはり、"友希あいね" と "神城カレン" という 2 人のキャラクターがいたからこその "勝ち負けを超えた価値観" を重視した作風だった、ということなんだろう。
この作風は全体の構成にも及んでいる。最終戦であり物語のピークでもある DFC を 40 話そこそこで終えて、残りの話数をすべて「その後」に費やしたのがそれだ。作品として最後に描くものは、最も大きな勝負の舞台ではなく「その後」であると選択したのだ。それは 2 年目との接続を滑らかにするのが主たる理由であろうがそれだけではなく、自分たちの描いてきた作品に素直になった結果の構成とも言える。

また一方で、"勝ち負け" を軽視していたわけではない。これまた何度も書いてきたことではあるが、"勝ち負けを超えた価値観" に説得力を持たすには、その前提となる "勝ち負け" そのものの重さが大切だからだ。ちゃちな勝負をやって「勝ち負けだけが全てじゃない」とか言われても「何いってんだこいつ」となってしまうし。『フレンズ!』における "勝負" もしっかりとした重量を持っているのだ。だからこそ HC は涙を流すし、さくやちゃんは悔しさに震えたのだ。

39 話 舞花 涙
39 話 エマ 涙
40 話 さくや
©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

とはいえどっちに尺を使ってるかといえば、あくまで "超える価値観" の方。だから前 2 作品とは違って、『フレンズ!』では "勝ち負け" の厳しさなんかを圧縮した描写(それでいて印象的な描写)で滲み出てくるような作風にしたのかな、と思う。この辺りの描写や脚本のバランスの取り方が『アイカツ!』や『スターズ!』と少し違っていて、そこが個人的には新鮮に感じられた。

というわけで。
しっかりした構成とその連続性、それを支える "湊みお" というキーパーソン、"勝ち負け" に対する考え方、と私が一年間『フレンズ!』を視聴してきた上で感じたことでした。書きたかったことは大体書けた、はず。ミクロな視点で観れば何だかんだ瑕疵(というか気になる所)がないわけではないが(ココちゃんとか 47 話とか)、でも全体で観たら本当によくできた 50 話 1 セットだったように感じます。まぁだからこそ 2 年目に向けて一抹の不安があるわけですが。ここまでしっかりしたテーマ・キャラ配置・全体構成・価値観があって、それに沿った物語を展開し終えたからこそ、その "枠" を超えた先でどのように話が展開されていくのか、という不安。"2 年目" の物語の舵取りが難しいっていうのは歴史(『2nd』『星ツバ』)が証明してることですし。そういった "枠" の外れた上でキャラクターを動かしていかなければいけない難しさ、新しいキャラクター・新しい価値観をどういう塩梅でミックスしていくのか、物語を囲う新しい輪郭をどのように引くのか etc... ただ 1 年目終盤で見せてくれたエピソード群は、やっぱりそういった課題にできるだけ対応しようとした意図を感じるんだよな。だから私は『フレンズ!』スタッフを信じて 2 年目の物語を待ちたいと思います。

50 話 鐘と鳩

©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

とまれ、『アイカツフレンズ!』1 年目(1-50 話) とても楽しいお話でした。