アイカツフレンズ! 75 話『ひとりじゃない!』感想

ジュエリングフェスティバルも大詰め!
異常気象というアイカツ!史上最大規模の相手に我らが PP はどう立ち向かうのか!
ソルベット王国編 及び『アイカツフレンズ!』ここに完結!

 

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©BNP/BANDAI, DENTSU, TV TOKYO

ってな具合の『ジュエル』ラス前 1 話。
まぁお話の構造は変に捻ったりはせず、王道で簡潔だ。

栄えある我らが PP のステージ前にブリザードさんが最後の嫌がらせをするも、今まで PP が(或いは友希あいねが)周囲に振りまいてきた『トモダチカラ』が今度は周囲から PP に還元されるという、一年目最大の山場である 42 話とある意味同じ構造になってる。情けは人の為ならず的なお話というか。

 

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『かがやきのジュエル』というシリーズの、或いは『アイカツフレンズ!』という作品の締めとなるようなお話なわけだけど、展開とかオチとかは凡そ予想通りで、今までの流れにある程度誠実だったように思う。今までの流れから「こういうのが書きたいんだろうな」ていうのは何となく伝わってきたし、この 75 話でもそれは画面にきちんと描かれていたと思う。その点に関しては良かったと思います。何かしらここで急にひっくり返されることはなかった。

 

まぁこんな書き方をしてることからもわかるように、不満はある。ただ、その不満についてこの記事に書くことが適当なのかがわからない。というのもこの段階での不満って、このお話についてというよりは『ジュエル』全体からくるものであり、ここに書くよりは(1 年目にやったみたく)まとめの感想で書くほうが適してるかなぁ、と思うからだ。 

 

「トモダチカラ」はパワーワードの様に扱われているが、その実とても繊細に扱ったからこそ、この着地点に辿り着けたように思える。シリーズ構成・柿原優子の珠玉の一本だったんじゃなかろうか、と勝手ながら思う。

アイカツフレンズ! 42 話『トモダチカラのキセキ』感想 - アニメ雑感記
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っていいながら上のような引用してる時点で書く気満々なわけですが。
上述したように今回のお話は「トモダチカラが奇跡を起こす」という感じの流れであり、それは 42 話と同じような展開だ。で、一年目におけるトモダチカラの扱いを思い出してみると、みおちゃんを始めとして舞花・エマ・さくや・かぐやといったメイン勢は勿論、なこちゃんや涼香ちゃん、かがみくん、千春さん等々、あらゆるお話であいねちゃんのコミュ力が発揮される展開を作ってきた。更にあいねちゃんの個別エピソードや DFC の前哨戦で、それらが PP やあいねちゃん本人の力となる展開を見せていて、そういう下地を丁寧に作っていたと思う。

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じゃあそれと比べて『ジュエル』はどうだったかっていう話だ。ソルベットでのアイカツ!啓蒙活動中は現地住民との触れ合いがちょいちょい描かれていて、あいねちゃんの交流描写が全く無かったわけではない。けどじゃあそれが "トモダチカラの描写" として十分かって言うと、個人的には疑問符がつく。ソルベット国民との触れ合いなんて、ひびきさんや LMT だってやってたことだからだ。

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もう一つ付け加えるなら、やはりあいねちゃんや PP が主体的に何かをやり遂げた感じがしないのが大きいと思う。繰り返しになるが、一年目ではあいねちゃんが友達を救ったり / 友達に救われたり といった展開が幾度となくあって、それが "友希あいねの物語" だということがわかりやすく伝わってきた。それに対して『ジュエル』ではどうだったのかというと、PP やあいねちゃんが主体的に何かやってきたという感覚がどうしても薄い。ていうかぶっちゃけ全部 LMT がやってくれた感がある。これもここ数回ずっと感想に書き続けてきたことであるが、『ジュエル』の柱になるはずだった「ひびきさんをフレンズとして育てる(トモダチカラを学んでもらう)」「アリシアさんをアイドルとして育てる(ブランクを埋める)」という 2 点がさらっと流された & LMT 主体で行われた っていうのがかなり大きかった気がする。『ジュエル』に入ってからひたすら PP をイチャつかせていたのは意図的だと思うんだけど、(何分尺が短いので)「なるべく自然な PP 像を見せることで受け手(アイビリーブと視聴者)に感じ取ってもらう」ていう風な考えだったりしたんだろうか、わからんけど。

 

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PP がプロデューサーとして観客の安全の為に中止を決断する所はなかなか良かった。立場に伴ってくる責任、その判断ににじみ出てくる苦々しさ、LMT やアイビリーブと比較して "子供" の象徴的存在でもあった PP が "大人" な決断をすることに必要な覚悟。そういったモノがちゃんと感じられて、"導くこと" を描いた『ジュエル』に相応しい描写だったと思う。一方でこういうのをもっと沢山観ることが出来たら、"ダイヤモンドフレンズとして成長した PP のアイカツ!" を感じることが出来たんじゃないかなぁ、と思えて仕方ない。 

アイドルとして上に行けば行くほどファンとの距離は離れていくというジレンマ、或いは天秤のバランスに対して、稀代のコミュ力モンスターである友希あいねがどんな答えをだすのか、というのが 2 年目のあいねちゃんのテーマになったりするんだろうか。割と難しそうなお話ではある。

アイカツフレンズ! 45 話 『友達はパパラッチ!?』感想 - アニメ雑感記

 45 話といい形で接続できる可能性もあったわけだしなぁ。

 

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ステージは勿論『ひとりじゃない!』のオールジュエリング ver。ここぞとばかりにエフェクト乱舞で、ミラクルオーラ & ミラクルアピール も健在。それらが出せなかった LMT & アイビリーブ より格上だっていうことにもなるんだろう。まだ最終話が残ってるけどお話的な意味でのクライマックスに相応しい、豪華絢爛なステージだったと思います。ただ一方で、やっぱ PP にここまでやってあげるんなら、HC・RM に(ジュエルは筐体都合で無理だとしても)ミラクルオーラくらいはあげても良かったんじゃないかな、と思ってしまう。

 

 

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ということで、トモダチカラとアイドルとジュエルの力で見事奇跡が起きて、ブリザード問題も万事解決!
という感じの 75 話でした。
次回はいよいよ最終話。
大人の事情に振り回されながらも何とか半年間頑張ってきた物語ですので、最後まで見届けたいと思います。